船の門出を彩る「大漁旗」を、プロダクトに。FUNADE・田中鉄太郎さん
色とりどりの、コロンとしたかわいらしいピアス。TSURUTOが扱うFUNADE(フナデ)のピアスは、東日本大震災後に漁師たちから譲り受けた「大漁旗」の糸で作られている。TSURUTOとの出会いは、2012年の代々木公園でのイベント。TSURUTOがまだ誕生する以前のことだった。
TSURUTOが活動を始めた2015年、東北に関わる商品をセレクトするなかでFUNADEの田中鉄太郎さんに声を掛けて以来、今に至るまで縁が続いている。震災直後から宮城県石巻市でものづくりを始め、10年。田中鉄太郎さんに、この10年間で感じる変化やFUNADEへの想い、今後について話を聞いた。
泥の中から見つかった大漁旗がFUNADEを生んだ
大漁旗を用いて色とりどりのバッグやアクセサリーを制作するFUNADE。京都で活動していたデザイナー・田中鉄太郎さんが立ち上げたブランドだ。
田中さんと大漁旗との出会いは、震災ボランティアで訪れた宮城県石巻市。崩壊した建物の中から50枚近くの大漁旗を見つけたのがきっかけだった。
「それまで、大漁旗について詳しくは知らなかった」と田中さんは語る。「なぜこんなに多くの枚数があるのかと思っていたら、大漁旗は新しく船を造った際、ご祝儀として知人友人、関係者から贈られる祝い旗なのだと教わったのです。津波に襲われた沿岸部の漁業の町に、どれだけの船があったのだろうと想像しました」。
譲られた300枚もの大漁旗
その出会いをきっかけに、大漁旗を使ってものづくりをしたいと思い始めた田中さん。沿岸部で出会った漁師に思いを伝えると、その日のうちに300枚近くの大漁旗が譲られた。
「華やかな色合いでね、まるで宝物を見つけたような感覚でした。まずは一枚一枚きれいに洗っていきました。きれいになった大漁旗を前にして、何を作ろうか考えたんです。港町らしく、大漁旗を活かしたポップな表現をしたいな、と」。
大漁旗に出会う以前から、石巻でものづくりをしようと考えていた田中さん。すぐ終わってしまうものを作っても仕方がない、この地域に根付く「いいもの」を作りたいと考えていたという。
「いいもの」とは
いいものとは、長く大切に使えるもの。その考えから、大漁旗と合わせる素材は長く使えるものを選んだ。革と合わせたブレスレットやキャップ、トートバッグの制作を開始。譲り受けた大漁旗を余すことなく使おうと、大漁旗を裁断した際に出るほつれ糸も活用した。何重も巻き付けることで、細いほつれ糸がカラフルなアクセサリーに姿を変えるのだ。
カタチを変えても、変わらない。
「10年作り続けてきても、同じものが二つとないのが大漁旗の魅力。どこを切り取っても違う見た目になるので、裁断のたびに新鮮な気持ちで大漁旗と向き合っています。まったく飽きないですね。ブレスレットを編んでくれている石巻のお母さんは、『大漁旗から元気をもらっている』と話していました。思いが込められた大漁旗は、裁断して小さくなっても大漁旗のままなのだと感じています。ただのカラフルな布や糸ではないんです」。
新陳代謝が、町をゆっくりと変えていく
2011年の震災後、ボランティアとして石巻にやってきた田中さん。10年間FUNADEでものづくりをしてきた田中さんは、この10年の町の変化をどう見ているのだろう。
「ゆっくりと変わっていきましたね。外部から町づくりのプロがやってきて、新しい建物が作られましたが、テナントがなかなか入らないといったこともありました。反対に、いい変化もあります。震災前は一括で漁協に出していた海苔のうち、採りたての柔らかいものに価値をつけて販売する漁師さんが出てきました。震災で一度ゼロになったことで、自分たちの本質的な力を再認識した生産者が出てきたと感じています。失ったからこその気づきなのでしょう。津波の被害に遭った地元の人ほど、好きなことをして生きる考え方に変化したように思います」。
町に住む人たちの顔ぶれも変化した。震災直後にボランティアとして石巻にやってきた人たちのなかには、違う場所に移り住んでいった人もいる。一方、移住者として新しく石巻にやってくる人も絶えない。時間が経つにつれ、人の入れ替わりが増えているという。
「ここ最近では、ものづくりなど、自分の技術やセンスを持っている人が多く石巻に入ってきています。シェアハウスで生活していたり、新しくイベントを立ち上げたり。僕も朝市にチャイを出したことがあります。何かをやるとなると、いろんな人が絡んでああでもないこうでもないと言いながら一緒にやっていく感じがありますね。新しくやってきた人たちの行動力や情熱に、元から住んでいる人たちがいい意味で感化されているようにも感じます。おもしろい町であることは間違いないですね」。
バトンの渡るモノづくり
FUNADE立ち上げ直後は、多くのお母さんたちがブレスレットやバッグの制作に携わっていた。漁業に戻ったり子どもの成長に伴って別の仕事に就いたりと、お母さんたちにも10年で変化があったと田中さんは語る。
「ブレスレットを編むお母さんが、途中から別の若いお母さんにバトンタッチするなど、作り手にも変化がありました。3月11日近くになると毎年忙しくなるのですが、長く携わってきてくれた方がフォローしてくれるなど、協力して間に合わせようとしてくれるんですよ。漁業をしているお母さんたちは、一晩で作業をしてきてくれるなど、根詰めてやってくれるんです。『忙しいのは今だけだっちゃー』みたいに笑って。そういうやり取りができるのも嬉しいですよね」。
人と人、人とものが繋がる場づくりを
10年が経ち、漁師さんから譲り受けた大漁旗の枚数は少なくなった。これから、田中さんはどうしていくのだろう。
「FUNADEは大漁旗を使ったブランドです。大漁旗は、そもそも職人数が減ってきているものなのですが、素材のためにかき集めようとはしていません。茨城の漁師さんから譲ってもらって、お礼にシャツとエプロンを作ってお返ししたこともあります。ご縁に任せて、自然に集まってきたものを使って作っていく。これからもそうやって継続していけたらいいなと思っていますね」。
自分の感覚に向き合ったものづくり
FUNADEの活動とは別に、震災前から活動していた京都のブランド、Omusubiの活動も展開していきたいと田中さんは言う。
「大漁旗以外の生地を使ったものづくりをしたい想いもあるんです。羽織や数寄屋袋など、和の素材をベースにしたものづくりをしたいと思い、準備しています。Omusubiでも大漁旗は使うつもりです。FUNADEでは大漁旗以外のものを使わないようにしているので、FUNADEはFUNADE、OmusubiはOmusubiでそれぞれ形にしていけたら。Omusubiでは多くの人に向けたものを考えるのではなく、自分の感覚に向き合ったものづくりをしていきたいと思っています」。
キーワードは、『結ぶ』と『脈(みゃく)』
Omusubiのコンセプトは、文字通り「結ぶ」。日本人の精神性をテーマにしたブランドだ。このブランドで、田中さんは社会貢献活動も行っていく。仙台から30分くらい離れた場所にある、およそ1000坪の敷地と古民家に店を構えたのだ。土地に水脈や空気の流れる道を通した際、田中さんは「地球の地脈と自分の血液の流れとが一緒になる感覚を味わった」と語る。このときの経験から、大地の再生講座を無料で行ったともいう。
「さまざまなことを総合的にやりながら、自然にクリエイションできるようになれたらいい」。人と人、ものと人が繋がる場づくりに取り組みたい。震災から10年を経た今、田中さんは新たな船出を迎えている。
(編集後記)
宮城県にいる田中さんとTSURUTOのふたりをオンラインで繋いで行った本取材。互いの活動に共鳴する両者は、「これから」の話で盛り上がった。今後、TSURUTOで扱う着物を田中さんに送り、Omusubiでリメイクした商品が生まれるかもしれない。そして、その商品をTSURUTOで見られる日がやってくるのも、そう遠くない話かもしれないだろう。
MATSURI TRAVEL 東北にて、本記事で紹介している大漁旗クラッチバッグや、七福ピアスをお買い求めいただけます。以下よりお進みください。
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