MATSURI TRAVEL 東北|10年の時間
「自然の前では小ささを確認するばかり」
染色家の友人から貰った手紙の一言に、深くうなずいた。
遡ること2016年。TSURUTO が動き始めた頃、「MATSURI TRAVEL」という、催事を行っていた。その催事では、日本各地のサステイナブルに生産されている“和のもの”を紹介し、和のあたらしい姿を提案していた。
中でもデニム・ジーンズファンを驚かせたプロダクトがある。
それまで廃棄されるしかなかった“メカジキの吻(角)”を、デニムに活かしたオイカワデニムのプロダクト「Swordfish fiber mixed Denim | メカジキデニム」である。
紡績の段階で、高品質のオーガニックコットンと粉砕したメカジキの吻を混紡、銅・金属製であるチャックなどのパーツは、タグワ椰子が原料の本ナットボタンが使われていたりと、そこまでやるのかと驚かされる「土に還るデニム」なのだ。
『あの日の記憶』
そのメカジキデニムは、宮城県は気仙沼にてつくられている。
ようやく最近になり、SDGsやエシカルという言葉を耳にする機会が増えた。しかし、その言葉が現在のように耳にする前から、このメカジキデニムは存在している。
背景として、10年の歳月が立つ2011年3月11日の大震災。オイカワデニムの拠点である気仙沼は、大震災で甚大な被害を受けた。今なお、「あの日、何をしていたか、誰と過ごしていたか、どこにいたのか」が、人それぞれ記憶を鮮明に持っているのではないだろうか。
そして、自然災害という、ひとが太刀打ちすることのできない体験は、其々に「大切な何か」を与えてくれた。
『オイカワデニムと地元漁師との交流』
宮城県気仙沼市には、気仙沼漁港があり、通年でカジキマグロなどが水揚げされている。その気仙沼の地元漁師とオイカワデニムとの交流は、震災を機にはじまった。
煮ても焼いても食べることのできない、メカジキの吻。
それは、廃棄されるしかない代物であった。交流の中、知った事実に対し「その廃棄をどうにかできないか」という問いから生まれたのが、メカジキデニムであった。
『10年という時間』
2011年から、2021年という“10年の時間”
エコロジーに関しての問題意識は、以前からあったものの、この国の意識は、ようやく動き出したように感じる。
メカジキデニムは、瞬間的なキャンペーンのためではない。
この10年を経て、社会的イシューと、プロダクトとしてのクオリティに真摯に向き合う、オイカワデニムの姿勢は、一本のデニムに昇華された。
そしてこれからも熟成されていく。
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『TOHOKU | 東北地方』
つると のMATSURI TRAVEL では、メカジキデニム以外にも、東北は石巻でつくられたプロダクトを紹介していた。それらのプロダクトは、すでに生産を終了しているものある。今回2021年『MATSURI TRAVEL ONLINE』として、限定数ではあるが、東北で生まれたプロダクトをピックアップした。
海の縁起物”大漁旗”が、バッグに
ハレの日を祝うために作られる縁起物の大漁旗を贅沢に使ったクラッチバック。1つ1つ異なる大漁旗の表情に合わせて生地がコーディネートされ生まれた一点もの。
このクラッチバッグを製作するFUNADE(フナデ)は、災害ボランティアで宮城県石巻市を訪れたデザイナー田中鉄太郎氏が、 知り合った漁師達から”大漁旗”を「復興のために何か役立てもらえないか」と譲り受けたことから始まった。
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漁網の補修糸と、鹿の角。
石巻市牡鹿半島の小さな漁村のお母さんたちによりつくられたネックレス。
その土地に落ちている鹿の角と、漁網を補修するための糸で製作している。
OCICA(オシカ)のつくるネックレスは、とてもシンプルなかたちをしている。漁網をドリームキャッチャーのように、巻き付けているのが特徴。気取らず身につけたいネックレスである。
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自然を前にして
草木などから色をもらい、布を染色していた友人の言葉は、この記事で紹介したプロダクトにも通ずるような気がする。そしてどれも、海と向き合う漁師や、それを支える人々の思いが感じられる。それはまるで、自然と人の営みとの間で生まれたもの。
自然との接点になるようなクラフトである。
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