Laklakとバリの花 - Aan, Bali.
昼過ぎに立ち寄ったスマラプラのマーケットでは、Laklak(ラクラック)の香りが漂っていた。ちょうどその日の朝、はじめて口にしたばかりで、ほどよい甘さと食感がとても気に入っていた。
いくつも出店がある中で、惹かれるようにして、そのLaklakのお店に並び注文をした。待っている間、焼くのを体験してみないかと誘われ、自分たちで食べる分のラクラックを焼いた。薪で温めているたこ焼き機のような半球状のパンの上に、米粉とココナッツミルク、パンダンリーフなどをミックスした液体を流し込む。
待っている間、その薪や釜、その上を覆うココナッツなどで編まれた屋根など、そのお店をしばらく眺めていた。日光が降り注ぐバリの昼間のその光景は、なんともゆっくりに思えて待つ時間も心地が良かった。
バナナの葉で編んだ皿の上に、焼き上がったラクラックが並び、ココナッツミートとブラウンシュガーのシロップで味を豊かにする。その味を求め、多くの人で賑わっていた。
それにもかかわらず、その出店の主人であるディラが話しかけてくれた。Laklakが美味しいことはもちろん、その提供のスタイルまで興味深かったから、会話が弾んでいく。
彼は、さまざまなことを話してくれた。彼は伝統舞踊のダンサーであり、環境を保全する活動を行ったり、地域のコミュニティを育んでいく活動をしていた。そんな彼の息子・娘もまた、伝統舞踊のダンサーであると聞いたとき、そのLaklakの店頭に立って案内してくれた彼女の佇まいが、頭のなかで一致した。
初めての土地で、出会う人との会話。だが、その根底にある繋がりをお互いが感じていた。
ディラ、そしてともに話を聞いていた彼の娘であるプスパが、私たちの服を着用しての撮影を快く引き受けてくれた。

二日後、私たちは、Aan Secret WaterfallにあるLaklakのワルンにいた。
関連記事:「秘められた滝とディラ - Aan, Bali.」
生い茂る緑、薄くかすれた雲と夏の空。鮮やかなハイビスカスを耳に添え、リゾートスタイルの花柄のドレスを纏うプスパ。
待っている間、その薪や釜、その上を覆うココナッツなどで編まれた屋根など、そのお店をしばらく眺めていた。日光が降り注ぐバリの昼間のその光景は、なんともゆっくりに思えて待つ時間も心地が良かった。
着物を染め、描いた職人は、常夏の自然の姿を知っていたのだろうか。そう思ってしまうほど、その色使いとコントラストのある模様は、バリの風景によく馴染んでいた。陽射しを浴びる鮮やかな緑や、その中で咲く花々と並ぶと、布の上に描かれた植物が、どこかこの土地のもののようにも見えてくる。
踊り手である彼女の身体の線と、ヤマユリのドレスのシルエットもよく合っていた。ドレッシーでありながら、熱帯の空気の中でも気負うことがない。風を受けて揺れる裾や、身体の動きに沿って変わる布の表情を見ていると、着物地が本来持っていた華やかさは、決して特別な場所だけのためのものではないのかもしれないと思う。

プスパが頭に乗せていたのは、バリの暮らしの中でよく見かける「ソカン」。物を運ぶために、頭の上へ載せて歩く姿を、この地域では何度も目にした。彼女にとっては、ごく当たり前のことなのだろう。そのまま姿勢を整え、伝統舞踊のポーズを見せてくれた。
日本の暮らしに置き換えて説明しようとしても、なかなかうまい言葉が見つからない。たとえば、かつて誰もが自然にできた風呂敷の結び方や、着物の裾を扱う仕草のようなものだろうか。習慣の中で身体が覚えてきた所作には、意識して美しく見せようとしたものとは違う魅力がある。文化というものは、建物や衣装、祭りのような目に見えるものだけに残るのではなく、こうした小さな身振りの中にも宿っているのだと思う。
風鈴草ドレス|ホルターネックは、足裏で大地を感じるようなベアフットの装いでも、自然とリゾートの空気を纏う。黄色の地に大輪の牡丹が咲き、一着の着物を使い切るくらいにたっぷりと入れたギャザーがフレアをつくる。その色に合わせるように、プスパは鮮やかなハイビスカスを耳元に添えた。
布に描かれた花と、いま摘み取られたばかりの花。
その二つが同じ身体の上にあることが、妙に自然に見えた。
バリを歩いていて驚かされることの一つが、それぞれの家の環境である。私にとって「家」とは、まず建物を思い浮かべるものだった。しかしここでは、建物だけでなく、その周囲にある庭、植物、石、水、祈りのための場所までを含めて、一つの暮らしの場がつくられているように見える。
プスパの自宅もそうだった。

植物が育ち、花が咲き、石や木の表面には時間が刻まれている。そこに人が暮らし、家族が行き交い、日々の営みが重なっていく。何かを過剰に飾り立てているわけではないのに、どこを切り取っても不思議と美しい。
そんな自宅で、茶を基調に更紗の模様が描かれたワンピースを撮影した。
着物にこれほど多く植物や花々が描かれてきた理由を、この旅では何度も考えることになった。
人は昔から、自然のそばで暮らし、その姿を眺め、そこに美しさや季節の変化を見つけてきた。そのままの自然を身につけることはできないからこそ、花の形を写し取り、葉の動きを線に変え、色を布の上へ置いてきたのではないだろうか。
写実的に描くこともあれば、大胆に省略し、幾何学的な文様へ変えていくこともある。そこには、ただ植物を模写するという以上に、人が自然をどのように見てきたかが表れているように思う。
バリの植物の中に立って着物地を見ると、そのことがより鮮明になる。
遠く離れた日本で生まれた布であるはずなのに、石や木、葉の緑、強い陽射しの中に置かれることで、どこかその土地に馴染んでいく。自然を見つめ、そこから形や色を受け取ってきた感覚には、土地を越えて通じるものがあるのかもしれない。
陽が横へ傾き始める頃、光は少しずつ柔らかくなっていった。
石の肌、古い木の表面、庭に育つ植物。そして、縮緬や絹の布地。異なる質感の上を同じ光がなぞっていく。
プスパが普段、舞踊の練習をするという場所で、少しだけ踊ってもらった。
手の先まで意識された動き。視線。ゆっくりと移る重心。

シャッターを切りながら、衣服は身体を包むだけのものではないのだと、あらためて感じていた。人が動くことで、布もまた動き、そこにはじめて見えてくる線がある。
着物として存在していたときとは違う形になっても、布に残る色や文様は、別の身体の上で、また新しい動きを持ちはじめる。
スマラプラのマーケットで、Laklakを待つあいだに交わした何気ない会話から始まった出会い。
二日後には、滝のそばでディラと話し、彼の娘であるプスパが、私たちの服を纏って踊っている。
旅をしていると、ときどきこういうことが起こる。
最初から予定していたわけではない。けれど、食べ物や衣服、土地の自然について互いに興味を持ち、少しずつ言葉を交わしていくうちに、それまで何の関係もなかった人と人との間に一本の線が生まれていく。

知らない土地で出会った文化を、特別なものとして遠くから眺めるのではなく、その中に自分たちにも通じる感覚を見つけること。
この旅で写真に残したかったものも、きっとそういう瞬間だった。


0 コメント
この記事に対するコメントはありません。真っ先にメッセージを残してください!